歴史的建造物・旧跡
まだアメリカがイギリスの植民地とみなされていた1682年に、英国のウィリアム・ペンが国王から領土として授かったのがこのペンシルバニアの地で した。ウィリアム・ペンはフィラデルフィアの街をシティーホール(市庁舎)を中心に設計し、ギリシャ語で「兄弟愛の街」を意味するこの名を付けました。現 在多くのアメリカの街で見られる網目状の通りの造りはここがモデルとなっています。熱心なクウェイカー教徒だったウィリアム・ペンはイギリス本土で宗教弾 圧による投獄を幾度か経験していたため、この地には自由を築こうと現在のアメリカ民主主義の基本となる制度を多く実行していきます。その結果、同じように 宗教弾圧に苦しんでいた多くの人々が自由を求めてこの地に集まり、18世紀にはロンドンに次いで英語圏で2番目に大きな都市となりました。新世界の文化の 中心地となったフィラデルフィアはアメリカのアテネと呼ばれました。
1774年から1800年にかけてのフィラデルフィアの歴史は革命の時代です。1774年イギリスのますます厳しくなる植民地弾圧政策に対しての対 抗策を話し合うべく、イギリス13植民地の代表者たちがカーペンターズ・ホールに集まり、第一回大陸会議が行われました。1775年イギリス本国からの派 遣軍と植民地民兵の間で衝突が起こり、アメリカ独立戦争が勃発、後に初代大統領となるジョージ・ワシントンが総司令官に選ばれます。1776年7月4日、 植民地側でトーマス・ジェファーソンが中心となって起草した「独立宣言」が当時の議事堂(現独立記念館)で署名され、独立宣言がなされました。この独立宣 言の際に高らかに打ち鳴らされた「自由の鐘」が今も国民の自由の象徴としてリバティベル・センターにて展示されています。しかし植民地軍の兵力は質・量と もにとてもイギリス軍にかなうものではありませんでした。フィラデルフィアはその構造ゆえに守りにくく、イギリス軍に占領されてしまいます。そのため 1777年から1778年にかけての冬、ワシントン率いる植民地軍は郊外にあるバレー・フォージでの野外生活を余儀なくされ苦戦を強いられます。しかしそ の後、植民地軍はベンジャミン・フランクリンの交渉によりフランスと同盟を結ぶことに成功、戦いを有利に進めるようになります。そして1783年、アメリ カ・フランス連合軍は勝利を勝ち取り、パリ条約が結ばたのです。1787年には合衆国憲法が独立記念館にて制定され、人民主権・三権分立・連邦制などがそ の中で謳われています。国立憲法センターはこの憲法に関してマルチメディアを通して解説をしている唯一の合衆国憲法博物館です。
独立戦争後、イギリスの13植民地はそれぞれ州となり、正式にアメリカ合衆国が誕生しました。13州を象徴するの13の星が描かれた最初の星条旗は 今でもフィラデルフィアでは多く見ることができ、それを最初に縫ったとされるベッツィ・ロスの家が一般に公開さています。1790年から1800年まで フィラデルフィアは合衆国首都としての役割を果たしてきました。










